くどうれいんさんの『スノードームの捨てかた』を読みました。タイトルに「捨てかた」という言葉が入っているからなのか、どこか、ほの暗い感じがするというか、心が、ざわざわするような物語が、六編、収録されています。どの物語も、現実にあるかもしれない、けれど、なさそうな、ぎりぎりのラインを攻めているような印象を受けました。読み終えたばかりなので、今、ちょっと胸が痛いです。
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私は、読書をするときには、順番どおりに読むようにしているので、最後に収録されていた「いくつもの窓」が、この本の、締め括りの作品になりました。最後に読むことができてよかったです。「いくつもの窓」の主人公は、みわこなのですが、私は、みわこよりも、みわこの祖父が気になりました。みわこの目を通した、みわこの祖父の、絵に対する姿勢がいいと感じたのです。
みわこの祖父は、賞を取ろうなどという「野心」からではなく、「自分のためだけ」に山の絵を描いていました。それは、山の絵を描くのが心から好きだった、みわこの祖父の、生活に根ざした営みだったのです。単純に、好きなことを突き詰めた結果のようにも感じられますが、実際に、みわこの祖父のような生活を実現させようとすれば、とても難しいことがわかるでしょう。
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自分から始めたはずなのに、それが原因で苦しむことがあります。私は、本を読んでいても、文章を書いていても、そういうことがあります。それは、そこに欲があるからです。この欲がなかったら、もっと楽に生きられそうなのに、と感じたことも、一度や二度ではありません。でも、欲は、願いでもあるのです。そして、私は、まだ、この願いを手放せそうにありません。